加藤鞆美作 小桜韋威兜三分の一兜風林火山セット 詳細情報 | 人形専門店「ピノキオ翠童(すいどう)人形」山梨県富士吉田市の甲州印伝雛人形・甲州印伝兜鎧・武田信玄公鎧兜雛人形、五月人形、高砂人形 ショッピングサイト

加藤鞆美作 小桜韋威兜三分の一兜風林火山セット

加藤鞆美作 三分の一小桜革威兜 手書き風林火山屏風セットです
限定商品になります
武田信玄公の先祖の兜になり国宝文化財にも指定されている
鎧のモデルの兜になります


小桜革脅しの兜とは

楯を必要としないほど堅固な鎧という意味で、俗に「楯無鎧」といわれる鎧である。
甲斐源氏の祖新羅三郎義光が父頼義から伝えられ、以来、日の丸の旗とともに「御旗楯無」とよばれて、武田氏の惣領のしるしとして代々伝えられる鎧である。
天正10年(1582)、武田勝頼が田野(甲州市大和町)で自害し滅亡した時、勝頼は16歳の嫡男信勝に擐甲の礼(元服・鎧着の式)を陣中であげたあと、家臣は織田方の手にわたるのを恐れ、向嶽寺(甲州市上於曽)の庭に埋めたが、のち入国した徳川家康がこれを聞き、発掘させて当社に納めたと伝えられる。
鎧は伝えのように、鎧として一応の形を整えたもっとも初期の藤原時代のもので、この時代の鎧として現存するのは、ほかに厳島神社(広島)・大山祇神社(愛媛)・御岳神社(東京)などにわずか5領あるのみで、きわめて貴重な遺品である(いずれも国宝指定)。
小桜韋の名は、小桜の紋がびっしり施してある小札によって大袖や草摺が威されているところから生じた名称である。

寸 法:間口×奥行×高さ(cm):60・40.70
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